TSPという新たな動きに取り組んだ理由②
- TSPコーディネーター
- 2021年11月18日
- 読了時間: 8分
前回の記事を読んで、フムフムなんとなく分かってきたぞ〜って思っていただけたかしら?

萬里ができること
祈祷師家業を真剣にやってなかったら、こんなこと真剣に考えることもなかったかもしれない。
だって、萬里はほぼ本能のままに、どちらかというと動物的に生きてきたから。
元々、物事を深く冷静に考える理性は少なかった気がしないでもない(; ̄ェ ̄)
あ、だから低次本能と高次本能のバランス悪くて、身体の不具合は若い頃の方が多かったのかもしれんな。
祈祷師と言っても、実際何やってるのかはほとんど認知されてないと思います。
世間のイメージはどんな感じなの?
Q.「幣(ぬき)」「御幣(ごへい)」持って、神様に祝詞(のりと)をあげるとか?
(御幣ってのは、白、又は金銀や五色の紙を幣串(ぬさぐし)に挟んだもので、「おんべ」とも呼ばれてます。あの、棒の先に紙をギザギザに切ったフサフサが付いてるやつのことね。)
A.いいえ、神様に仕えるのが主な仕事って訳ではないので、フサフサは振り回しませんし、神主ではないので「祝詞」もあげません。
〜祈祷師の一般的イメージが良くわかんないけど、萬里の場合。〜
・占いはできないけど、先(未来)は見えることがある。
・過去の原因を探ることもできるし、前世も見えたりする。
・対象の人物の、行動や思考を追体験したりできます。(内面を探る)
・カラーセラピー的なことは分かんないけど、オーラは見えるから、そこから読み取った状態に対するアドバイスはできる。
・神様のエネルギーに触れて、御言葉を聞き取ることはできる。
・守護霊や指導霊、先祖霊の言葉を代弁することもできる。
・亡くなった方の死に際を身体で体験させられてきたので、あらゆる死因の苦しさや痛みがわかります。
・寝ている間に幽体離脱(幽体浮遊)で、リアルには行けない範囲の土地や国、現場まで駆けつけ成仏できていない魂の供養します。
・幽体浮遊で現実の知り合いの元を訪れて、パトロールや治療をします。
・人の身体の不調を察知できるので、緩和やエネルギー補充、整体、マッサージ等できます。
・土地や家屋の浄化、厄祓い、霊・念の対応も全てやります。
・術を駆使して結界を張ったりもします。
・人を護るための「御守り」も作ります。その一つにパワーストーンブレスもあります。
・相手は人間だけに限りません、動物や木や石、自然界の物とも会話が成立します。
・24時間365日身体も脳も休める睡眠や、現実だけを考えて生きる、普通の人間のような時間はありません。
・行方不明者の生死はわかりますが、探すことはしません。
・護衛として見えない「虎」を連れているので、虎を使役して遠隔対応や必要な人を護ったりします。
やったことないから出来るかわからないことは、まだたくさんあります。
人から必要とされて「やってみたら出来た!」ってことの積み重ねできているので、師匠や先生はいないし、ほとんどが実戦で覚えてきたことばかり。だから、なにが出来るのか?は、まだ開発途中なんだと思います。
勉強してきた訳でもないし、必要に迫られて調べたり学んだりの繰り返しだから、理論的に説明とか理屈を述べるのは苦手です。日々やるべきことをやるのが修行です。(たまには滝行とかもしますけど。)
上記のようなやれる事を駆使して、これまで『お尋ね』という形で、生きた方々の相談を受けてきました。
祈祷師(シャーマン)萬里の活動
本当の日常的なお仕事は90%が、亡くなった人の対応。
生きてる人よりも、亡くなった人(成仏できてない人)の方が圧倒的に多い。
師匠や先生が居ないのになぜ日々進化して、やれることが増えてるのかと言うと、亡くなった人達や、あの世の存在との交流で学ぶことがたくさんあるから。自然と能力が上がっていく。
あの世からの情報の方が、信頼できるし、この世で生かせることが多い。
なによりも亡くなった人達やあの世の存在は『嘘』をつかない。
たとえ、何か悩みを抱えて相談に来たとしても、生きてる人間は『嘘』をつくし、本音を隠して、自分を良く見せようともする、それに自分にとって都合の悪いことは言わない。
問題の原因は自分ではない別のところにあると思うことが多い。
生きてる人間というだけで、感情や意識、思考の癖や思い込み、健康に対する希望や生への執着、とても複雑すぎて一筋縄ではいかないことが当たり前。
どちらかというと、生きた人間相手の方が日々苦戦しています( ̄▽ ̄;)
亡くなった方々の対応は常に24時間体制です。
みんなと会って普通に会話してる最中でも、対応していることがあります。これが日常です。
萬里の場合、どれもお経をあげたり、儀式をやったり、形式的な手法は一切やりません。
ただ、相手と意識をリンクして、寄り添って、言いたいことや思い残しを読み取り、気持ちを汲んで理解するよう努める。
そして、どうやったら相手が少しでも「穏やかになれるか?」「心地良く、思い残しを無くして天に帰れるか?」を考える。
何が不安なのか?何が心残りなのか?できるだけ解決してあげて、あとは成仏する道を示して、自ら天に帰る行動を起こせるように促す。
どれも、自ら選んで自ら進んで行動できるように、傍らで寄り添い『心を込めて祈る』だけ。
この全ての活動をしている自分を、分類訳したら何になるんだろう???
初めの頃、素朴に抱えた疑問でした。
でも、基本的にやってることは「心寄せて、祈って、背中を押す」、これこそが『祈祷師』なのかもしれない。
トータル的に、誰かの何かのサポートをするために、自分の意識と想いと可能な限りの力を捧げる『祈祷師』でしっくりときたんですよね。
霊との交流から得たこと
亡くなった人達の『思い残し』をクリアにしてあげないと、供養は成立しません。
その思い残しとして一番深く残るのは、意外と単純に『三大欲求』だったりします。どう対応するのかとかは、萬里は祈祷師(by.萬屋事務局)読んでいただいてたら、おおよそわかるかと思います。

世間で霊能者を名乗る人達の口からは、まず語られない部分があるんです。というか、公に語れなかったのは萬里も同じなんですけど、生きた人間をメインで相手にしてる霊能者はまず知らない事実。
問題となるのは、日本人の気質や性質も関係してるんだけど、『性』に対することは恥ずかしいから表に出さない。という部分。
次なる生命を生み出す、種の保存を全うするために備わっている『性欲』。
なのに悶々と表に出さず抱えちゃってるもんだから、いざ亡くなった時にそれが『思い残し』になってたりするということは、ほとんど表沙汰になりません。
認知症になったお年寄りもそれぞれ出方が違うと思いますが、元気な時は理性で隠していた部分も、脳の機能が衰えた時、露わになるのは動物的な本能で欲求の部分。
『性的異常行動』と言われるそうですが、それは介護の現場でも、起こっているはずです。実際には正常なんですけど、理性が働かない状態で本能のままに行動すれば、それは異常と捉えられる。
でも、その人の尊厳や立場、家族への配慮、色々考慮した結果やっぱり表沙汰にはせず、内々で処理してしまう出来事も多いと思われます。なぜなら『恥ずかしい』ことだからですよね?
人に知られる機会も少ないし、話題にすることもあまりないのではないでしょうか。
それこそが、脳の機能が衰え、理性が働かなくなった時、呼び起こされる動物的な本能。抑制できないほど抱えていたものは、どこかで暴発する。
その欲求も果たされず亡くなってしまった場合、「念」「思い残し」になり、成仏を妨げるものとなる場合があるのです。
性別も時代も関係ない欲
食欲や睡眠欲は一人でもこなすことができます。でも性欲に関しては一人では満たされないものです。
その裏には、人との触れ合いの乏しさ、寂しさや、不安、マイナスな感情も複雑に絡んでいるから。
ごまかしたり、代替え的な方法はあるかもしれないけど、本当に求める満足感や幸福感は一人では得難いのが、唯一『性欲』だと思います。
男女比で言えば、男性の方が事件を起こす割合多いですが、男性には大昔から『風俗』という、解消の道がありますよね。擬似的でも肉体的に満たされる抜け道があるというのは、とても大事なことです。
その歴史の中には、身体を売ることでしか生きる術がなかった『不幸な女たち』もいます。
女が好きこのんで風俗やってると思ってる人もいるかもしれない、風俗は底辺の仕事だと思ってる人もいるかもしれない、風俗嬢を人以下のような目で見る人もいるかもしれない。
中にはお金のためにとか、道楽のために風俗で働く人もいるかもしれないけど、萬里が接してきた嬢たちは、仕事としてプロとしてやってる気合いの入ったお姉様方でした。
そもそも大昔『遊郭』と呼ばれていた時代は、「花魁」「高級遊女」は選ばれし女性しかなれなかった憧れの存在だし、性的なテクニックや美貌だけでなく、知性や教養、礼儀、立ち振る舞い、芸事、肉体的にも鍛えられ、現代のモデルや女優よりもパーフェクトな高嶺の花。
そんな彼女らがいるから、世の中の性犯罪は抑えられてる部分もきっとあると思っています。
ただ、その欲求にフェチやこだわり、特殊な癖など加わってくると、欲を満たすには足りないものも多いかも。趣味嗜好や目的、満たされる要素の一致、自分と全くぴったりな相手を探すことがまず難しいですからね。
それでも現代は、自分の欲求に沿うものを比較的見つけやすくはなっていると思う。
そこらへんは自分で折り合いつける方法を見つけて、処理するしかないのだけど、稀にこういう欲求を抱えたまま亡くなってしまった場合、とんでもない『霊』と化してしまう場合があるのです。


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